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HOME > インタビュー > インタビュー Vol.1『大切にしている言葉』

私が大切にしている言葉は「有由有縁」です

―芸術家と聞くと、つい「気難しい方なのかも」と身構えてしまうところがあったのですが、お会いした瞬間から非常に優しく、柔らかな雰囲気で、とても安心しました。

山田 芸術家なんてそんなに難しい人たちではないですよ。他の人とは目の付け所や感性がちょっとずれていると言いますか、少し変わっているだけです。かつて娘に「うちのお父さんは変わっています。枯れ葉を拾ってきれいと言っています」と作文に書かれた記憶があります。ただその娘は小さい頃、雪道にコロンと落ちた椿を拾っては「キレイ!」とはしゃいでいましたから、本人が気づいているかどうか分かりませんが、父の〝変わった部分〞を十分受け継いでいるのでしょう。

―目に映るものを見て、きれいだなとか、温かいなとか、何かを感じること、それが〝感性〞ですよね。

山田 世の中にきれいな花なんて存在しないのですから。きれいと感じる心がそこにあるだけです。相田みつをさんの言葉に、「うつくしいものを 美しいと思える あなたのこころが うつくしい」とあります。また、今は亡き映画監督の大林宣彦は私の親戚筋にあたるのですが、彼から過去に「人間だけに与えられた特別な能力は何だと思う」と尋ねられたことがあります。彼いわく、それは人間だけに与えられた〝真っ白なスクリーン〞なのだと。私たち人間はそこに歌をのせることもできるし、詩を書くこともできる、スクリーンの形を変えることもできる、つまり何でもできるのだ、と。それは非常に喜ばしいことだし、人世にとっての財産だから、大いに活用してほしいと言っていました。

―ということは、みんなそれぞれにスクリーンを持っているのですね。ただ、私はそのスクリーンをうまく使えているかというと、あまり自信がありません。

山田 みんなこう言います。感性なんて無いし、芸術なんて分からないと。しかし、よく考えてみてください。その洋服も、髪型も、自分がいいと思って選んでいるわけでしょう。そういった種類の好みと、芸術の好き嫌いは同じことです。私の中では、アートは学問ではない。知識は後で調べればそれで済む。小さい子供は石ころを拾ってきて宝にすることがあります。今でも私は時々拾ってきては、アトリエに置いています。道端の石ころひとつにしたって感性は十分に刺激されますので。

―そんなお話を伺うと、スマートフォンを片手に道を歩くなんてもったいないと思えますね。

山田 スマートフォンが必要な場面ももちろんあるとは思いますが、何でもスマートフォンで調べて最短ルートで動いてしまうと、思いがけない出会いを逃してしまう気がします。私が以前ウイーンを旅した時、ロマネスクの展覧会が見たくてタクシーに乗ったのですが、目的地をきちんと伝えたにもかかわらず、まったく違う博物館に着いてしまったことがあります。タクシーを降りた後に間違っていることに気づき、「あれ、困ったな」と思いながらふとポスターを見たら、なんとその博物館で憧れていたヴィレンドルフのヴィーナスが展示されていることが分かりました。ヴィーナスを見た瞬間にすごいパワーを感じて、「あぁこれは偶然でなくては出会えなかった、すなわち与えられた運命だったのだ」と感じました。

―偶然を「導かれた」とお感じになるあたりが、山田先生らしいお考えです。

山田 川端康成さんの造語と聞いておりますが「有由有縁」という言葉があります。まさにその通り。全ての縁は理由があって結ばれていると考えています。
「時は過ぎても出逢いは残る」感謝はありがとうで済むかもしれませんが、恩は一生の恩と考えています。
何事に関しても結果・過程をみて、あの時に出逢った人とのご縁、言葉、環境など、何かそれに至るまでのプロセスすべてに対して過去を遡ると、理由や縁に結ばれているのだと強く感じています。

『衝撃を受けたボルゲーゼ美術館での出会い』

―明治大学を卒業されて彫刻の道に進まれるのは珍しいように思います。芸術や美術の大学だったら分かるのですが。

山田 それも「有由有縁」を感じる出来事がきっかけです。大学を卒業して父の会社((株)日本金属工芸研究所)で見習いをしていた頃、おそらく「これから頑張れ」という意味だったのでしょう、父が私を世界一周旅行に出してくれたのです。それも知人から紹介された世界巡礼の旅で、大きな目的はローマ法王への謁見でした。謁見の際、大勢の人がいる中で、部屋の隅に立っていた私の前にローマ法王(パウロ6世)が歩いてこられて、私の両手を握りしばらくの間いろいろと話をしてくださいました。
その翌日、同行していた絵描きのご夫婦から、「美術館に行くけど一緒に行かない?」と誘われました。正直、疲れていて興味もなかったので迷いましたが、他に予定もなかったので、「お供します」と連れていってもらいました。それがボルゲーゼ美術館でした。

―まさに「有由有縁」。ローマ法王謁見の後というところも意味深長です。そしてその美術館で衝撃的な出会いをされたわけですね。

山田 そのご夫婦は絵描きさんなのでスーッと絵を見に行ってしまわれて。私はよく分からないまま近くにあった部屋に入っていくと、そこが彫刻家のベルニーニの部屋でした。もう見た瞬間に衝撃といいますか、ショックといいますか、頭に雷が落ちたような感覚がありました。その日の夜は、疲れて夕食も取らずに寝てしまったほどです。

―ご自身が彫刻に取り掛かられたのはいつ頃になるのでしょうか。

山田 翌日から、もうけろっとその彫刻の事などは忘れて、あちこちイタリアを観光し帰国しました。そのベルニーニの作品と出会ってから3年くらい後でしょうか。仕事は一生懸命にやっていましたが、夜は仲間と麻雀に明け暮れる日々で、「このままでいいのかな」と思い始めた頃です。ふとルーブル美術館で模写している若い人たちがたくさんいたことを思い出して、絵を習ってみようと研究所に通い始めました。26歳くらいの頃で、高校生に交じって1年ほど石膏デッサンを学びました。そしてこれもまた〝たまたま〞なのですが、紹介されて行った太平洋美術研究所で見つけた粘土に何気なしに触れた瞬間、「これはおもしろいかもしれない」と思ったのが始まりです。あの瞬間は、自分の意思で決めたというより、むしろその世界にグッと引き込まれたような感覚がありました。それから50年以上続いているわけですから、これも運命だったのでしょうね。その研究所に行かなければ粘土には出会わなかったわけですから。

『柔道を通じて培った「体力」が創作活動の礎』

―彫刻と出会われてからは没頭する毎日だったのでしょうか。

山田 仕事もありますし、その時には家庭を持っていましたから、全ての時間を彫刻に費やすわけにはいきませんでした。それでも毎日、仕事が終わってわずかな時間でも研究所に通って彫刻は続けていました。
お付き合いのゴルフをした後も帰りに研究所に寄るような、そんな生活を12年間続けていました。父親に「彫刻はやめて経営の勉強をしろ」と言われたこともありましたが、歯牙にもかけずに彫刻を続けていたら、いつのまにか言われなくなりました。

―奥様をはじめ、ご家族も協力的だったからこそ続けられたという側面もあるのかもしれませんね。

山田 妻の協力と理解があったからだと思います。子どもたちは、「父親とはそんなものだと思っていた」と言っていましたね。20代、30代の私はタバコをやめたくてもやめられなかったのですが、一度何かで妻とケンカになった時に、「彫刻を取るか、タバコを取るかどちらかにして!」と言われて。それを機にピタッとタバコをやめることができました。あれも妻のおかげですね。

―山田さんが社会人になり、家庭を持った後に彫刻の道を進まれたように、人生のどこで運命の仕事に巡り合うかは誰にも分かりませんね。

山田 「これだ!」というチャンスなのか、きっかけなのかは、誰にでもあるものだと思います。あとはそれに気付くかどうかと、選択するかどうか。何をなりわいに選んでも、必ず苦労はあって当たり前。私の仲間でも生活が大変だと言う人はたくさんいますが、「自分がその道を選んだのだ」と腹をくくっているから、続けられるのだと思います。

―続けるからこそまたチャンスが訪れるのでしょうか。

山田 何でも積み重ねですから。私も30分でもいい、1時間でもいいと毎日彫刻に触れ続けてきたからこそ、今があるのだと思っています。気力と精神力に加え、〝体力〞があったおかげです。ここで生きたのが他でもない、大学時代の柔道の経験ですよ。コツコツ続けるにはまず健康でなくては話になりませんし、とくに彫刻には強い足腰や腕力も必要。当時は彫刻なんて考えてもいませんでしたが、結果的に必要なもの全てを、柔道を通じて培っていたのです。
練習は厳しかったのですが、楽しい思い出ばかりですよ。何より素晴らしい先輩方や友達にたくさん出会えました。尊敬する先輩の一人に1964 年の東京五輪に出場した神永昭夫先生(1959 年商学部卒業)という方がいて、残念ながらもう亡くなられたのですが、亡くなられる1カ月ほど前にたまたまお会いすることができました。
その時先輩は「人生とは親から子へ子から孫へ、先輩から後輩、時代から時代、いろいろな意味で次の代へ伝えていく架け橋だ」と話していただきました。素晴らしい言葉でしょう。こういう先輩に出会えたことこそ、私の人生にとって大きな財産です。神永先輩だけではなく、柔道を通して親しくなった多くの友達・先輩に感謝です。

まさに大学は感性のふるさとです。真面目に勉強することも大切ですが、思いっきり遊んで、たくさんの人と交流して、感性を磨いてほしいと思います。人から無駄なことだと指摘されても、「無駄があるから人生は楽しいのだ」という気持ちを大切にしてほしいです。

―以前、「明治大学特別功労賞」を受賞されましたがお気持ちをお聞かせください。

山田 プレッシャーを感じています。調べたら柔道の姿先生に始まり、そうそうたる方たちの名前が並んでいて、私がこの中に入っていいのかと考えてしまいました。しかし、だからこそもう一段、二段とステップアップして、賞の重みにかなう人間でありたいなと身が引き締まりました。目指すは明治大学の大先輩、佐藤慶太郎さん。彼は私が最も尊敬する方で、東京都美術館に私財を寄贈し、その創設に寄与した方です。私も東京都美術館に行く時は後輩としていつも鼻が高いです。佐藤さんのように、後輩たちから自慢に思ってもらえる先輩でありたいです。
ただ、私、本当は話すのがどうにも苦手なのです。時々学生の前で話す機会をいただく時、最初は断りたくなってしまうのですが、やはり伝えていかなくてはならないと、自分を奮い立たせています。私は先輩から渡されたバトンを言葉にして次につないでいくことが使命だと考えています。

質問?????????????

日本芸術院賞を受賞した際に、当時の皇后陛下である美智子様に「彫刻というのはただ形を写しておしまいではなく、そこにメッセージを込めなくてはいけないし思いや優しさ、希望、品格、悲しさ、つらさなど、そういうものを一瞬ではなく、時空間を込めてつくるから、作品に力が宿るのです」とお話をさせていただきました。

明治大学の140周年記念サイトより抜粋